神社・お寺の修理・修復・新築・設計・施工 仏具の修理(修復)なら金田社寺建築 / 会社概要

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はじめに

弊社は、神社仏閣の建築に特化した設計施工を行う宮大工集団になります。弊社代表の金田優が工業高校建築科卒業後、世界最古の企業「㈱金剛組」と法隆寺最後の宮大工である西岡常一氏の唯一の内弟子:小川三夫棟梁が率いる「㈱鵤工舎」にて修行し、社寺建築の基礎と業界最高峰の技術を学び、起業した事が始まりです。

起業後は、「神社仏閣と宮大工を後世に残していきたい」という代表者の想いに、多くの神社仏閣の皆様方と関連各所の皆様方に共感していただく形で、少しずつ実績を重ねさせていただき、大阪府南河内郡太子町に自社の工場兼事務所を持つ事ができました。

今後も、神社仏閣の再生と宮大工の後進の育成に邁進して参りますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

01.実家のプレファブ小屋からスタート

01.実家のプレファブ小屋からスタート

起業する。さて、何もかもが初めての事で、全く分からない。まずは、同級生の水原君に連絡し、会社の作り方を教えてもらいました。当時、彼は会計事務所に勤務しており、色々とアドバイスしてくれました。その彼も独立し、今は弊社と関連会社の税務を見てもらっています。

よしっ、会社もできたし、仕事の準備をするために、両親から実家の3坪ほどのプレファブ小屋を借りて、合同会社 金田社寺建築はスタートしました。

02.はじめてのお仕事

02.はじめてのお仕事

はじめてのお仕事は、お寺の改修工事。昔からお知り合いのお寺様が、私が独立したので、仕事を作ってくれました。総代さんから「あんたみたいに神社仏閣が好きもんいてないから、頑張ってくれなあかんで」というお言葉は、今でも覚えています。自分が食べていければいい、神社仏閣のお仕事をさせていただける有難さを改めて感じる事ができました。

03.神棚をひろめよ

03.神棚をひろめよ

修行中に宮城県佐倉で経験した神社仏閣の再生についての課題。宮大工には、神社仏閣を造る事しかできない・・・。そんなみじめな経験をし、神社仏閣の再生をするために、何も考えずに起業した私。そんな私に、運命の出会いが訪れました。

とある知人から、神棚って関係あるの?神棚マイスターっていう人がいてるけど、紹介しようか?

神棚マイスター??

詳しく調べてみると、「なぜ儲かる会社には神棚があるのか?」の著者の窪寺伸浩氏という東京にある材木店の方でした。直観で、会いたいと思い、数日後に東京駅八重洲口の地下街で会食をさせていただき、神社仏閣再生のヒントをいただきました。窪寺氏と私の経験した歯がゆい思いなどを話すと、「少子高齢化・氏子数の減少。神社仏閣離れ、これは避けて通れない。即効薬はないが、地道に神棚を広めていく事で、新規に神社仏閣とのご縁を結べばいい。まずは、志をもった経営者を中心に広め、その社長の姿をみた従業員のご家庭にもお祀りいただく。広める人が少なければ広めてくれる人が増やせばいい」なんて、前向きな考え方をもった人なんだ!?これなら神社仏閣を再生できる。これを機に、神棚の事業をスタートし、関西を中心とした多くの企業様に神棚をお祀りいただき、神社仏閣とのご縁を結ばせていただく形ができました。

起業までの経緯はこちら

「修行中に東日本大震災があり、宮城県角田市にある寺院の復興工事に行きました。休みの日、角田市にある神社仏閣を自転車で巡っていた所、佐倉という場所に諏訪神社があり、社殿を見ると、立派だったため、足を止めて、建物を見ていると、不審に思ったのか?諏訪神社の宮司が出てこられて、お話をさせていただきました。お話を聞くと、昔、京都御所紫宸殿で副棟梁をされた佐藤善蔵という佐倉出身の宮大工が地元に帰って来た時に建てたとされる拝殿のようでして、角田市の近世社寺報告書にも実際に記載がありました。しかし、こんな立派な建物を維持するのは氏子数の少ない田舎の神社では苦しいそうでして、そんな中、東日本大震災を受けて、社殿の装飾や建具が外れたりなど、跡取りの禰宜さんもどうしたら良いのか困って居られました。それでも残していきたいという思いに共感し、それでは歴史的な価値を整理して、多くの人に知ってもらう活動をしましょうという事で、歴史的な資料を集める作業をしました。数年前、屋根を銅板葺きに葺き替えしたそうでして、その際に棟札が出てこなかったとされていましたが、私が小屋裏に上がり、調べてみると、明治時代の修復の棟札が発見され、古文書と照らし合わせると、合致し、その整合性を確認する事ができました。がしかし・・・、歴史的な資料や価値を見出した所で、神社の運営が豊かになるわけでもなく、歯がゆい気持ちを経験した事を今でも覚えています。宮大工は、神社仏閣を造る事しかできない。神社仏閣の再生について、考える日々が続きました。

04.企業神社の御造営

04.企業神社の御造営

神棚の事業をしていると、「会社に神社があるんだけど見てもらえないか?」という話がやってきました。ビルの屋上や企業の敷地内にあるいわゆる企業神社といわれる実際の神社から勧請を受けて、御霊別けをしてもらっている企業が所有する神社をいいます。大きな邸宅のお庭などにある場合は、邸内社といいます。そんな企業神社の修復や新築工事をさせていただく中で、多くの企業に神社があるという事を知りました。一般的に皆様が知っているような会社の企業神社をさせていただきましたが、基本的には小規模な社殿になるのですが、尼崎でさせていただいた企業神社は、一般的な神社本殿よりも少し大きめで、企業神社の中では最大クラス?の企業神社の新築工事をさせていただきました。そこで分かったのが、先代は神社の世話をしていたが、事業継承の中で、神社の引継ぎがされておらず、昔は月並祭を行っていたが、今は行っていない。実際のところ、どうしたら良いのかわからないので・・・。という話でした。企業と神社が密になっていた頃、多くの企業では、月並祭を行っており、毎月の行事として習慣化されていましたが、月並祭を根付かせる事も、重要なポイントになると改めて考えるキッカケになりました。

一般的には忘れられている祭典を、神棚や企業神社を通じて再び知っていただく機会を持ち、大切にしていただける方には実施していただく活動が1年、2年、3年と、継続する事で、全てではありませんが、神棚をお祀りいただいた方が神棚設置に伴う出張清祓いをしてくださったり、企業様が月並祭をしてくださったり、少しずつですが、神様に意識が行き、その思いが形になってきている事を実感しています。とはいえ、私だけでは微々たる力のため、この話を色んな方にした所、共感していただく方が一緒に神棚事業をやってくださるというような展開ができてきました。今後更なる展開に期待しています。

05.1通のメールから海外の寺院にチャレンジ

05.1通のメールから海外の寺院にチャレンジ

会社のHPのお問合せに、中国から一通のメールが来ました。
「私は中国で仏具を造っている者ですが、お客様の法師が高野山で修行をされて、中国に帰国後、日本で見た寺院建築の素晴らしさを忘れる事ができず、中国で日本式の寺院伽藍を造りたいそうです。日本で有名な宮大工の会社に連絡しましたが、取りあってもらえず諦めていた所、あなたを発見し、最後の想いで連絡しました」との事。

正直、かなり怪しいと思い、断ろうかと思っていましたが、偏見はいけないので、とりあえず話を聞く事にしました。色々な話をお聞かせいただき、本当に建てたいのだなぁと思いました。しかし、日本の会社は中国に偏見があり、「中国の案件はしません」などと軒並み断られたそうで、そうなってくると、チャレンジ精神が芽生えてしまうのが、私の悪い癖でして中国の寺院案件を引き受けました。建築自体は、現地の方がされるそうでしたので、設計と技術指導の業務を受託し、中国福建省の寺院のプロジェクトに携わらせていただきました。

06.能満寺住職との出会い

06.能満寺住職との出会い

中国の仕事をしていた時、法師から「世界最大規模の仏教の展示会が厦門であるので、あなたの技術を展示すればよいと思います」というお言葉をいただき、展示会に共同で出店する事になりました。他のブースは色んな仏教関連商品を展示している中、私は、日本の鉋の技術を展示しようと思い、鉋と木材だけを使い、展示会にきた人に鉋削りを体験してもらいました。これが結構好評でして、色んな人が削り、削り屑も袋にいれて持って帰るなど、技術を展示する試みをして良かったと思いました。そして、そんな中、お会いしたのが、神奈川県にある臨済宗建長寺派能満寺の松本住職でした。

はじめ日本人がいるので驚きましたが、松本住職も日本人が出店している事に驚かれており、少しお話をする事になりました。なんと私の古巣、㈱金剛組にて本堂新築工事を計画されており、それに伴いお位牌などの仏具の視察に来られたとか。帰国後、ご縁があればお会いしましょうという事になり、その時はお別れしましたが、後日、共同出展者の位牌を検討するという事になり、共同出展者の中国人と一緒に新横浜でお会いしました。私は、アテンドで同席しましたが、その時に、能満寺に山門があったという話になり、「もしよかったら山門をしませんか?」とお声かけをいただき、能満寺山門プロジェクトが始まりました。この山門プロジェクトは、旧本堂(江戸の大火を逃れた大山喜楽坊の移築)の古材を一部再利用し、火伏の門として、現在の能満寺に甦りました。人との出会いは、本当に不思議なものだと思いました。一つ一つの行動がなければ、繋がらなかった事が、偶然繋がってしまう。仏様のご縁結びには、驚かされます。

07.古民家再生プロジェクト

07.古民家再生プロジェクト

少子高齢化、若者の神社仏閣離れ、そして、3Kを代表する建築業。さらに、ものづくりの産業でも修行を伴う宮大工の世界・・・。目指す人が減少し、やりたい人がいてても長続きしない。そんな課題が常にありました。弊社でも、若い子を受け入れしていましたが、長続きしない。技術の継承は、今後どうなっていくんだろうかな?と思っていました。

そんな頃、地元に良い古民家があると聞いていたので、そこに住みたいと思うようになりました。知人に相談すると、所有している不動産会社を知っているので紹介してあげるとの事でしたので、お会いする事にしました。敷地2000坪、建物450坪ですが、建物はボロボロで、敷地内は草が生い茂っており、軽トラックがギリギリ前の道に入る物件でした。200万くらいで仕入れたみたいなので、経費をプラスしたくらいで売ってくれるんじゃないか?という話だったので、自分で直しながら住めたらいいなぁと思っていましたが、お話をしていく中で、不動産会社の結論としては「誰にも売らない。むしろ、君がこれを修復して、綺麗にして事業性のある建物にしてほしい。」と言われました。そんな仕事もしてみたいと思いワクワクしていると、不動産会社から「もちろん無料でやってください」と耳を疑いました。

初見で、5000万円はないと修復できないような物件なのに、無料再生する?
人件費もかかるし、まぁ、人件費はなしと考えても、材料代もかかる。
「無料とか絶対に無理ですよ」というと、
「色んな人がこの物件を見に来たけど、無理といって帰っていった。君も一緒か。」
といわれてしまい、一緒にされるのも嫌だったので、とっさに「たぶんできます。その代わり、1週間時間をください」といって、帰る事にしました。
帰りの車の中で、「なんでそんな事いってしまったんだ><」と悔やみましたが、誰もができないといわれている事をやってみたくなるチャレンジ精神という悪い癖がでてしまい、誰も乗らない船に乗ってしまいました。乗ったからには、なんとかしないといけないので、どうすれば実現可能か?を考える日々でした。ある日、仕事の休憩中に、閃きがあり、これだったら、お金を掛けずに再生ができるアイデアを思いつき、事業計画を作成しました。

事業計画を不動産会社にもっていくと、是非やってほしいとの事。再生が完了した後に、すぐに売却されては、再生した意味がないので、30年間は無償で借りて、収益を賃料としてお支払いするプランに変更し、合意しました。が、不動産会社から非営利団体にしか貸せないといわれて、一般社団法人を別法人で作り契約する事に。

私の活動を聞きつけた知り合いの企業がスポンサーになりたいと数社集まり、企業資金も集まり、法人の登記手続きを行っている中、不動産会社から一本の電話が・・・。

やっぱり白紙に戻してほしい。

発起人やスポンサーにも話がついている状態での出来事に関係者の方々もビックリしました。話をころころ替える人と一緒にプロへジェクトをしても仕方がないので、潔く白紙の提案に応じ、今後について、発起人と話し合う事になりました。

08.一般社団法人 宮大工養成塾の設立

08.一般社団法人 宮大工養成塾の設立

目的を失った古民家再生のプロジェクトチームでしたが、意外と皆が前向きで、せっかく考えたこの仕組みを他に使えないのか?という話になり、知恵を絞る事にしました。そこで、この仕組みを古民家の再生から神社仏閣の再生にしたらどうか?と考えた所、意外と最強の仕組みである事がわかりました。こんな事、なんで考えつかなかったのか・・・。これも何かのめぐりあわせがあると思い、宮大工養成塾をスタートしました。宮大工養成塾では、宮大工になりたい若者が全国から集まり、学費を頂戴する代わりに実践の機会を提供するというWinWinの仕組み。学費の一部を神社仏閣の再生に使用し、規模が大きくなれば、神社仏閣は修復財源を自ら確保する必要がなくなり、大きな出費がなくなるビジネスモデル。こんな話を色んな所でしていると、うちの息子を塾生にしてください!!という方が数名現れて、意外とすんなりと学生を集める事が出来ました。※詳しくは宮大工養成塾のHPをご覧ください。

09.小さな活動が実績を結ぶ

09.小さな活動が実績を結ぶ

起業後、実家の前の小さなプレファブ小屋からスタートし、神棚の御造営から神社仏閣の改修工事。修復の規模も大きくなり、そして新築工事も受注する事になりました。関西圏だけではなく、北は北海道、南は種子島まで、ご縁があるものは全てさせていただきました。口コミやネットで、徐々に露出と信用ができてくると、依頼される仕事が徐々に大きくなってきて、それと共に宮大工養成塾の門下生の活躍の場が増えてきました。そんな中、依頼された案件が、大阪市中央区にある日蓮宗 寶泉寺本堂修復工事でした。数社の競争見積もりで、受注するには大変な案件でしたが、建物をみた時に、当初建立された棟梁の繊細な仕事や豪快な工法の採用に感動し、この建物は絶対に残したいと思いました。瓦から板金へと変更し、屋根荷重を軽減する事で耐震性能を持たせるプランで他社さんが提出されており、当社もそれと同じように仕様を合わせて提出するように言われましたが、本当にそれでいいのか??という疑問があり、試行錯誤した結果、当社は、当初と同じように瓦を採用する事と、小屋組みに補強をいれる事で、耐震性能を持たせる提案で勝負をしました。というのも、社寺建築の天敵は、地震ではなくて、風害です。風に弱いため、その風圧力により浮き上がる現象を抑える必要があります。過度に荷重を抜く事は、倒壊のリスクを負うという事があります。現に、木造の5重塔は、地震による倒壊はいまだかつてなく、すべて台風によって、倒壊しています。ゆえに、荷重バランスをいかに検討する事が求められるのに、安易に屋根を軽くすると大丈夫という考えがメディアによって印象づけられて、耐震=屋根荷重を軽減という論評になっていますが、大切なのは、荷重バランスです。お客様から求められている事ではないので、競争見積もりの土台から外されて話がなくなる不安もありましたが、自分が今まで修行してきた事や勉強してきた事で勝負をしたい。そんな気持ちで修復プランを提案しました。当然、賛否両論ありましたが、ある意味説得力もあるという声もあり、きちんと話を聞きたいという所まで話が進み、私の考えをお話させていただきました。すると、ご住職や総代様も共感していただき、弊社で本堂修復プロジェクトを任せていただける事なりました。

10.門下生と共に再生プロジェクト

10.門下生と共に再生プロジェクト

発注をいただきました本堂修復プロジェクト。問題はまだまだ山積みで、ひとまずは屋根を中心とした修復工事になっていましたが、予算の関係で漆喰壁の塗り替えや畳の張り替えなど内装工事でやらないといけない部分がありました。そこで、なんとかご希望に添えるように本来は、プロのみでする所を、宮大工を目指す門下生と一緒になって行う事で、人件費を軽減し、その分で契約外の工事をする事を提案しました。※難しい部分は、当然プロが行い、金田を筆頭に、門下生と一緒になって行うこの計画に、住職が快く承諾していただく事が出来ました。「金田さんも信頼しているし、次の時代を担う門下生にもがんばってもらいたい」というお言葉をいただき、ふと、ある事を思い出してしまいました!!

そう、今から数十年前、法隆寺最後の宮大工である故西岡常一棟梁が、日本全国から若い宮大工が召集され、行われた薬師寺金堂の再建プロジェクト。(詳しくは、プロジェクトX をご覧ください)西岡常一棟梁の弟子である小川三夫棟梁、そしてそのもとで修行した私が同じような事をしている・・・。運命的な事を感じ、何としてでも、このプロジェクトを成功させて、全国にこの法隆寺大工のタネを撒く事こそ、私の役割と感じました。このプロジェクトには、日本全国から宮大工を目指す若者が集結し、海外からもトルコとアメリカから参戦。次の世代を担う若いエネルギーによって無事に本堂の修復工事が竣工しました。ただ注文を受けて作るという作業ではなく、「建築」という根本を勉強する事が出来ました。門下生のお陰で、予算に余裕ができた事により、契約外分だった漆喰の塗り替えや畳の張り替えなど、普通だったら出来なかった事が出来るようになりました。この事は、業界の仕組みそのものを変える大きな転機になったと思います。それからも、ご住職には、門下生の事を気遣っていただき、時より寺院の整備事業のお仕事をさせていただいております。

11.これから目指す未来

11.これから目指す未来

弊社は、地域の神社仏閣の再生に特化した会社になります。なぜ、地域の神社仏閣に特化しているかといえば、今までのように神社仏閣を維持していく上では、非常に困難な時代がやってくるからです。注文を請けてそれを造るのは、どこの会社でも出来ます。しかし、我々は、計画の段階から一緒になってプロジェクトを進めていき、資金計画や竣工後の活用までアイデアを提供できるのは弊社だけです。そして、我々の元で修行した若い宮大工が同じ仕組みを使い、全国に広がる事で、将来的に神社仏閣が修復のための資金を集めなくとも、年間で数棟は修復できる仕組みが出来ます。我々は、持続可能な神社仏閣の再生の仕組みの構築を目指しています。

会社概要

屋号 合同会社 金田社寺建築
所在地 大阪府柏原市旭ヶ丘3-1-40
連絡先 TEL 072-977-4699 / FAX 072-921-8398
E-mail kanatashaji@gmail.com
代表 金田 優 (かなた すぐる)
許可 建築工事業 第142566号
営業種目 社寺建築の設計施工及び調査修復
木材の加工及び特殊加工
神棚の製造及び販売
社寺建築の講演
営業範囲 大阪府、奈良県、京都府
兵庫県、和歌山県、滋賀県、
愛知県、岐阜県、三重県
岡山県、香川県、徳島県 等
その他都道府県の方もご相談ください。

施設及び設備

太子加工場 大阪府南河内郡太子町山田3861-1
白木加工場兼倉庫 大阪府南河内郡河南町白木271-1

関連会社

一般社団法人 宮大工養成塾
若手宮大工の養成に特化した私塾

メディア情報
・BSフジ 「宮大工千年の技」
・関西TV 「報道ランナー特番」
・TV東京 「Youは何しに日本へ」
・J-com  「ふわっと欣様」など

ものづくりネットサポート合同会社
伝統産業のWEBコンサル会社

事業内容
・企業ブランディング
・HP制作
・YouTube動画撮影~制作
・動画撮影~作成の指導

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