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金田 優 プロフィール

金田 優 宮大工

宮大工

金田 優

S61年2月15日
大阪府柏原市の建築会社社員の父親と専業主婦の母親の「次男」として生まれました。

幼少期より、ものづくりが好きで、小学生の頃は子供会の廃材木工教室で箱や椅子を作るなど、木で何かを作る事が好きで、高校は、工業高校建築科に進学し、木造建築に従事したい思いがありました。

就職活動中、知り合いの寺院に訪れた際、(株)金剛組が修復工事をされていて、はじめて神社仏閣の仕事がある事に気付き、どうせ木造をするなら、その最高峰の技術を学びたいと思い、(株)金剛組に入社。金剛組では、社寺建築の基礎を学ぶことになりました。

入社三年目、和歌山県の文化財建造物の修復工事の主任技術者をしていた頃、会社が民事再生法による再建に入った事を知りました。その日の晩、緊急召集され、今後の会社運営について、通達がありました。今後の会社の方針に対して、納得のいかない上司や先輩は会社を去り、新体制の会社運営が始まりました。

仕事のできる社員が減ったので、自ずと若手社員が積極的に抜擢され、私は三年目で現場責任者を命じられ、本堂新築工事を担当させていただく事になりました。

起業までの経緯

01.はじめての挑戦

01.はじめての挑戦

自分の中では、一生懸命仕事をしてきた自負があったので、自分でも出来るという根拠の無い自信があり、プロジェクトに取り組む事になりました。周囲の先輩からは、「お前には出来ない。絶対に失敗する。」など否定的な言葉を日々浴びせられました。「自分には出来ないのではないか?自分には未だ早いか・・・」とモチベーションが下がっていた頃、私を現場責任者に抜擢してくれた上司から「びびってたら、できるもんもできんやろ。失敗してもいいからやってみろ」という言葉をいただき、少し気持ちが楽になりました。それからは、誰に何を言われようが、一生懸命すればできると思い、無事に本堂新築工事を竣工させる事が出来ました。

02.自信は過信

本堂新築プロジェクトを成功させた私は、自信を持つ事ができて、より一層勉強するようになりました。誰にも負けたくない。そんな気持ちが更なる勉強をする事になり、マニア化していました。近しい先輩を見ると、自分の方が仕事ができる。そんな気分になってしまっていました。そんな時、文化財の修復工事の現場責任者を任命され、大きな壁に直面する事になります。

03.修復工事の難しさ

今の自分には出来ない仕事はない。そんな過信で臨んだ文化財修復工事。プロジェクトを進めていく中で、修復工事の難しさを知る事になります。「基準がない・・・」新築工事の場合は、1から全てを決定していくので、図面通りに建てる事が出来ます。決められた基準の通りに、進めていくだけなので、仕事さえできれば、比較的簡単な仕事になります。しかし、修復工事の場合は、数百年前に建てられた建物は、寸法が正確ではなく、かつ、経年による歪みなど、新築工事のような基準がなく、不確定要素が多い中で納めていく難しさがあります。自分が本当にできるのか?大きな壁にぶつかった不安感が急激に襲ったと同時に、自信を一気に無くしてしまった事を今でも覚えています。

04.挫折からの成長

前に進まなければ解決はできません。古い建物を修復していくような教科書がないため、どのようにすれば勉強ができるのか?文化財の先生に教えを請うと、昔の人と同じように古い建物を見に行く事と言われました。文化財を見に行けばわかるのか?実際に文化財建造物を見て回りましたが、どうやって勉強するのか??全く分からない。どのような様式でどのような修復をしているのか?ここから、文化財建造物を学ぶ作業が始まりました。

05.古きを知り、新しきを知る

様々な建物を、ある一定の数を見た所で、感覚的に様式などが分かるようになってきました。一番大きく見えてきたのが、彫刻を見て大体の年代が分かるようになってきました。あとは、なぜこの意匠を使っているのか?設計者である棟梁の意図が、こういう事ではないのか?と考察する事が自然にできるようになると、修復に対する解決策にも一筋の光が差し、ようやく明るい兆しが見えてきました。
建物から色んな情報を読み取れるようになると、こうするといいんじゃないか?ああするといいんじゃないか?と、修復のアイデアが湧いてきて、全てが調和されていくような感覚で上手くいくようになり、無事に納める事ができました。この案件以降、宮大工は一生勉強というように、様々の文化財を研究するようになり古い建物が大好きになりました。

06.更なる成長を求めて

文化財の修復が終盤に差し掛かった頃、文化財の先生との話の中で、もっと成長したいのであれば、ここにいては成長できない。現状で満足をしているのであればいいが、これだけ勉強熱心であれば、環境を変化した方がいいと言われて、新たな境地へ進む事を決意しました。

07.本屋さんで発見した一冊の本

07.本屋さんで発見した一冊の本

「不揃いの木を組む」
法隆寺最後の宮大工である西岡常一の唯一の内弟子「小川三夫」氏の著書。少し見ると、飲み込まれてしまい、いつの間にか読破してしまいました。購入し、家に帰ってからも何度も読み返し、今の自分の環境の甘さを実感し、いつの間にか、ここで働きたい。そう思うようになりました。思い立てば吉日。しかし、金剛組にいる人間として、ライバル会社に転職する形になるので、受け入れてもらえない可能性があります。いきなり電話をしても難しいと思い、文化財の先生にお願いし、ひとまず話だけでも聞いてもらえないか?とお願いしてもらった所、話だけならOKと奈良県の法輪寺にてお会いさせていただく事になりました。

08.あやしい人材

08.あやしい人材

約束の日、法輪寺にて小川棟梁とお会いさせていただき、色んな話をさせていただきました。仕事に対する考え方や工場で仕事の雰囲気も見学させていただきました。今は代表を離れて、弟子に任せているので、採用できるかどうかは決めれない。責任者に確認して、採用ならいいんじゃないか?と言われて、責任者の方とお話をすると、今は人がいっぱいいるので要らないとの事でした。ライバル会社の人間という事もあり、スパイじゃないかと不信感を抱かれていたのではないかと思いました。帰り道、小川棟梁に送ってもらい、その道中で、「お前どうするんだ?うちで駄目だったら他ですんのか?」と言われ、ここでやりたいですけど、神社仏閣の仕事がしたいので、他で頑張ります。そう言うと、「そんなら、うちでやったらええんじゃないか。」その一言で、小川棟梁の元での修行がスタートしました。

09.新天地での洗礼

09.新天地での洗礼

小川棟梁の会社では、弟子は全員住み込みで、入った順番が早い人から偉いという序列がありました。郷に入れば郷に従え。全てを受け入れて、修行漬けの日々がはじまりました。私の先輩は、中学校を卒業したばかりの元暴走族総長。歴が上であろうが、年齢が上であろうが関係ない。1日でも早く入った人が偉いという文化。皆が修行中という身であり、いい仕事を与えて貰えるように努力するのが当たり前。時間さえあれば、刃物研ぎをし、与えられるか分からない次の仕事へ向けての自作道具の準備。やらねば相手に先を越される。そんなプレッシャーの日々でしたが、毎日こなしていると日常になる。人間の慣れとは、すごいなぁと思った瞬間でした。ここでは、全てが勝負であり、勝った者が偉く、負けた者には何もない。切磋琢磨して、上を目指すという事もあるが、人間の本性というのは、そんな良い部分だけではない。当然、蹴落とし合いも始まり、何の根拠もない噂で失脚させたり、下からの追い上げに焦る先輩からのイジメ。そして、仲良しと思わせての裏切りなども日常茶飯事。勝負の世界とは、勝たねば何も残らないという事を知りました。上を目指す世界にも、下を見て蹴落とす人もいる。学校では教えてくれない社会の厳しさ、社会に出た時には競争社会がまっている現実。自分が信じてきたものを守る事や証明するためには、勝つ必要がある。「勝つ」事に対する執着が、この時に根付いたと思います。卑劣な事をせずに、勝ち続ける。修行では、社会の縮図で揉まれ、自分の芯が通り、迷いが無くなった事が大きな学びになりました。

10.東日本大震災

10.東日本大震災

修行漬けの日々を送る中で、発生した東日本大震災。仕事中、少し照明が揺れていた程度で、そんな被害は無いだろうと思っていましたが、休憩中に見たTVの映像に目を疑いました。津波で街が流されている。東日本では、大変な事が起きている。この数ヶ月後、私たちは、宮城県にある寺院の震災復興作業に向かう事になります。
私たちが向かった寺院は、檀家数も多く、すぐに復興作業に取り組む事が出来ました。建物の損傷は激しかったのですが、修復さえすれば、元の通りになる。そういった余裕のある寺院でした。休みは2週間に1日あり、休日にする事もないため、地域の神社仏閣を見て回る休日が始まりました。

11.地域の神社仏閣が消滅していく

11.地域の神社仏閣が消滅していく

本屋さんで地図を買い、地域の神社仏閣をマーキングし、一つ一つ自転車で巡る休日。山の上に神社があり、草がボーボーで社殿まで歩けない。何か社殿から寂しさを感じたり、少し怖さを感じたりとそんな神社仏閣が結構ある事を知りました。その中で、「棟梁:佐藤」と書かれた墨書きをいくつかの神社仏閣で発見し、「佐藤」って人は誰なんだ??と思いながら、佐倉にある諏訪神社に到着しました。今まで見てきた社殿とは異なり、規模といい、装飾といい、格が違う建物。興味のままに、建物を見ていると、宮司さんから「何をしているんですか?」声をかけられて、事情を話ました。すると、不審者と思われていたそうでした。(笑)神社の解説を宮司さんからしていただいていると、「この社殿は佐藤善造棟梁が・・・」というお話をされて、「あの佐藤!?」と思わず反応してしまいました。佐藤棟梁について、宮司さんが詳しく教えてくださり、佐藤棟梁は、御所の紫宸殿を修復する際の副棟梁として活躍され、後に地元である佐倉に帰って来てからは、地域の神社仏閣の再建に取り組み、佐倉の諏訪神社も再建されたそうです。しかし、古文書にしか記載がなく、決定的な証拠が無いため、困っているようでしたので、棟札を発見するべく、小屋裏へと上がり、探す事にしまいた。宮司さんから「お兄さん、この前の屋根替えの時に探してもでて来なかったので、多分無いと思うし、危ないから早く降りてきなさい」と言われた数分後、明治時代の修復の際の棟札を発見するミラクルが発生!!歓喜に沸き、喜んだ事を覚えています。
「ねっ、ねっ、あったでしょ?この建物をなんとしても維持して残していってください」と行った所、宮司の顔からは笑顔が消えて、色んな事を教えてくださいました。地域の神社仏閣は、氏子檀家数が減っており、若い人は都心へと行ってしまう。残った氏子檀家は、高齢者ばかりで、その高齢者も年金問題などで生きていくので精一杯。そんな中で神社を残していくなんて、難しい。時間が経てば経つほど、厳しくなってくる。何も打つ手立てがないのが現状。私は、生意気にも、こんないい建物があるのに残さないのは勿体ない。文化的な価値を付けて、色んな人に来てもらえるような取り組みをすべきと伝えましたが、こんな事では、神社仏閣を存続させる事は難しい。何もする事ができない自分がいる。もどかしさを感じながらも、お寺の震災復興作業も竣工し、その地を離れる事に。最後に、諏訪神社に挨拶に行き、栃木の本社に戻りました。

12.はじめの第一歩

12.はじめの第一歩

栃木の本社に帰ってからは、刻みの日々でした。日々の修行を頑張っていて、認められたのか、変な嫌がらせをされる事は無くなっていました。ある意味、突き抜けた感がありました。しかし、宮城県の佐倉での思いがずっと頭に残り、何もできない自分が情けない。大好きな神社仏閣が無くなっていく・・・。それに対して、自分は造る事しかできない。造る事しかできない自分ってのは何て情けない・・・。今ある環境では何もできない。自分で考えて自分で形を造っていくためには独立しかない。神社仏閣が困っているのに、自分だけ安定した場所でリスクを負っていない。そして、好き放題言っている自分にも嫌気がさし、まずは自分が積極的に動くべしと、計画性が全く無い状態で起業をする事になりました。当時は、自分だけが食べていければいい。底辺からの再スタートだ!!と思いましたが、これがなかなか大変な事をである事を起業してから苦労する事になりました。

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